カウンター

Research

フェロモンを感知する神経細胞の運命決定の制御機構

(プレスリリース)

Bcl11b/Ctip2 controls the differentiation of vomeronasal sensory neurons

概要

フェロモン分子を感知する鋤鼻(じょび)神経細胞(用語2)は、機能するフェロモン受容体の種類によって大きく2つのタイプに分類されます。これら2つのタイプの鋤鼻神経細胞は共通の神経前駆細胞(用語3)から作られますが、いつ・どのような分子メカニズムで鋤鼻神経細胞が2つの運命のうちの片方への運命を選択し、最終的に神経細胞として機能するようになるのかは不明でした。今回、転写調節因子Bcl11bを欠失させたマウスを用いて、Bcl111bが2つのタイプの鋤鼻神経細胞への運命決定を制御していることを明らかにしました。また、この制御が神経細胞の最終分化以降に起こっていることを示しました。フェロモンを受容する神経細胞が作り出されるメカニズムの新発見といえます。この成果は米国神経科学会誌「ジャーナルオブニューロサイエンス」(Journal of Neuroscience)、2011年7月13日号(日本時間14日公開)に掲載されました。

解説

鋤鼻神経系はフェロモン分子を感知し、性行動・縄張り行動・子育て行動などの動物の本能的な行動を誘導する感覚神経系です。ヒトでは鋤鼻神経系は退化してその痕跡が残っているだけですが、ほとんどの哺乳動物はこの鋤鼻神経系を有し、鋤鼻神経系は個体の生命維持活動において非常に重要な役割をはたしています。マウスの鋤鼻神経細胞は、2種類のフェロモン受容体遺伝子ファミリーV1rとV2rのいずれかを発現しており、それらがコードするタンパク質によってフェロモン分子を受容し、そのシグナルを脳に伝達します。フェロモンシグナルの伝達過程においてV1rとV2rがシグナルを受け渡すGタンパク質は異なり、V1rはGαi2と、V2rはGαoを共役しています。つまり鋤鼻神経細胞は、V1r-Gαi2型とV2r-Gαoの2つのタイプが存在することになります。
 これまで研究から、これら2種類の鋤鼻神経細胞は共通のMash1遺伝子(用語4)陽性の神経前駆細胞から産生されることが知られておりましたが、どのような分子メカニズムで神経細胞が分化し、最終的に2種類の神経細胞が作られているのかは不明でした。本研究グループは、外来分子を認識する系として鋤鼻神経系と免疫系に認められる類似性に着目し、共通して発現する転写因子網羅的に同定し、その中でもBcl11bに着目して鋤鼻神経系における機能を解析してきました。

本研究で得られた結果・知見

 今回、Bcl11b遺伝子ノックアウトマウスを用いた解析によって、Bcl11bが鋤鼻神経系の正常な形成に必須な因子であることが明らかとなりました(図1)。またMash1遺伝子ノックアウトマウスで認められる神経新生の異常ではなく、神経細胞への最終分化以降の異常であることを示しました。その異常の1つが2種類の鋤鼻神経細胞の比率の変化です。つまりBcl11b遺伝子ノックアウトマウスでは、産生される神経細胞の総数に変化はなく、V1r-Gαi2型鋤鼻神経細胞が増加し、逆にV2r-Gαo型の鋤鼻神経細胞が減少していたことです(図2)。興味深いことに、胎生期においてすべてのGαi2発現細胞はGαoを共発現していたことです。この共発現は、成体においても作られたばかりの幼弱な神経細胞でみられました。これまで2種類の神経細胞は互いに独立に分化していると考えられてきましたが、今回の結果はそれとは逆で、鋤鼻神経細胞はまず共通のGαo発現細胞としてつくられ、そこからV1r-Gαi2型神経細胞とV2r-Gαo型神経細胞が作られていることが示唆され、2つのタイプの神経細胞への最終的な運命決定をBcl11bが制御していることがわかりました(図3)。


Fig1.jpg

図1 Bcl11bは鋤鼻神経細胞の成熟分化と脳への軸索投射に必須因子である。
Bcl11b遺伝子ノックアウトマウス(Bcl11b-/-)の鋤鼻神経細胞では、産生される神経細胞の数(SCG10陽性細胞)に異常は認められない。しかし、未成熟神経細胞(GAP43陽性)が減少し、成熟神経細胞(OMP陽性)は顕著に減少した。またトレーサーとして蛍光物質DiIを用いた軸索の可視化実験によって鋤鼻神経細胞軸索の脳への投射異常が認められた。


Fig2.jpg

図2 鋤鼻神経細胞の運命決定のモデルV1r-Gαi2型とV2r-Gαo型の2つのタイプの鋤鼻神経細胞は、共通のMash1陽性神経前駆細胞からつくられる。Mash1遺伝子ノックアウトマウスにおいてBcl11b遺伝子の発現がなくなることから、Bcl11bはMash1の下流で機能する。鋤鼻神経細胞分化過程において、GαoはGi2よりも早く発現し、さらに最終分化後のGαi2陽性細胞はGαoを共発現している。Bcl11b遺伝子ノックアウトマウスにおける産生される神経細胞の総数は野生型のそれとほぼ同じであることから、神経新生から神経への最終分化過程に異常はない。しかし、その後Gαi2陽性細胞の数が顕著に増加し、逆にGαoのみ陽性の細胞数は顕著に減少した。このことからBcl11bは2つのタイプの鋤鼻神経細胞への運命決定の制御に関与していることが明らかとなった。

今後の展望

 Bcl11bは免疫系T細胞の運命決定においても重要な役割を果たしていることが報告されています。鋤鼻神経系と免疫系の2つの系においてBcl11bは何らかの共通する機能・現象を制御するものと考えられます。転写因子としてのBcl11bの詳細な分子作用機序にせまる研究が期待されます。また本研究によるBcl11b遺伝子の発現解析とノックアウトマウスの解析によって、鋤鼻神経細胞の運命の決定が神経細胞へ最終分化段階以降に制御されていることが示されました。これは最終分化後のニューロンのタイプを変えられる可能性を示唆するものであり、Bcl11b遺伝子の下流因子の探索と機能解析を含めた今後の研究が期待されます。

用語

1)
フェロモン分子: 動物の体内から排出、分泌され、同種の他個体に特定の作用をする物質の総称である。動物社会においてフェロモン分子は、性成熟、異性の識別や生殖行動、また雄同士の縄張り行動、子育て行動などに重要な働きをしている。
2)
鋤鼻(じょび)神経細胞: 鋤鼻器に存在する感覚神経細胞である。発現するフェロモン受容体遺伝子ファミリーの種類によって2つのタイプGαi2-V1r型とGαo-V2r型鋤鼻神経細胞に分類される。
3)
神経前駆細胞: 特定の機能を有する神経細胞になる前の段階の細胞のこと。
4)
Mash1遺伝子: 匂い分子を感知する嗅神経細胞とフェロモン分子を感知する鋤鼻神経細胞のマスター遺伝子と考えられている。Mash1遺伝子ノックアウトマウスでは、これらの神経細胞はほとんど産生されない。